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横浜の史跡の紹介(根岸競馬場跡)
読売新聞の「港を碑楽」に根岸競馬場跡の記事が載っていました。最初は山手の麓(現在の元町)で行われ、より本格的な競馬会が外国人居留地で行われたが、宅地化が進みこの根岸に移されたようです。(地図)
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2008/04/25 20:53 |
横浜の史跡の紹介(打越の霊泉)
坂の途中に打越の霊泉があります。説明では、「この湧水は、古くから地域の生活用水として広く利用されてきた歴史的にも由緒あるのもです。開港してから横浜港へは外国船がたびたび寄港しましたが、大正時代にかけてこの湧水は、これらの外国船につみこまれたと代々伝えられてきました。(地図)
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2008/04/19 21:07 |
横浜の史跡の紹介(日本庭球発祥之地)
山手公園に入ってすぐ左側に、「日本庭球発祥之地」という碑があります。テススコートをならすために使っていたローラの石を削って作ったという。日本庭球発祥之地がそもそもなぜここあるのか不思議であるが、その由来があるようです。(地図)
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2008/04/07 23:36 |
横浜の史跡の紹介(日本最初の洋式公園)
開港後の横浜で、もっとも早く整備された公園が山手公園でだった。居留地に住む外国人たちによって整備されて、1870年(明治3年)に開園したという。上野公園や芝公園よりも3年ほど早くできて、近代の洋風公園として指定一号となった。近くに妙香寺があるが、もともとこの敷地は妙香寺境内の一部だったようです。(地図)
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2008/04/06 07:57 |
横浜の史跡の紹介(日本吹奏楽発祥の地)
代官坂を越えてきた所に妙香寺があります。参道の入口には国歌君が代由緒地の碑がありますが、坂を上って境内に入ると右側に日本吹奏楽発祥の地の石碑があります。(地図)
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2008/03/22 08:03 |
横浜の史跡の紹介(麒麟麦酒開源記念碑)
北方小学校の隣の小さな公園にその面積にしては大きすぎる巨大な石碑があります。あまりにも大きすぎて、以前に来た時には違うものだと思ってしまいましたが、記念碑の上部の文字を読めば、確かに『麒麟麦酒開源記念碑』と書いてあります。石碑の説明は漢文で読みづらいのですが、次のように記されて入るそうです。(地図)
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2008/03/16 18:28 |
横浜の史跡の紹介(ブラフ溝)
山手地区は丘陵地帯であるため、昔は雨水を流すのに坂道の脇に石造側溝を設けていたという。その名残はほとんどないですが、元町公園沿いの額坂辺りに一部、残っています。また、元町公園の坂の上には写真のようにブラフ溝の一部が切り取られて保存されて説明がされています。(地図)
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2008/03/16 17:33 |
横浜の史跡の紹介(ジェラール水屋敷地下貯水槽)
元町公園から少し下ったところに水屋敷跡があります。ジェラールの水屋敷は、横浜の市街地の井戸水は塩分を含んでいて、飲用には適していませんでした。丘陵地帯は良質の湧水が多く、ジェラールは山手の麓の水源を確保して、パイプを敷設して、山下居留地や寄港船舶に供給した。地元の人は「水屋敷」と呼ぶようになった。その水屋敷の地下貯水槽が今も保存されています。(地図)
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2008/02/21 22:00 |
横浜の史跡の紹介(ジェラールの亙工場と水屋敷跡)
元町公園内にある「ジェラールの亙工場と水屋敷跡」は、ここに湧き水があることからできたようです。説明板には次のように説明されています。
『この地は、明治初年フランス人アルフレッド・ジェラールが、居留地建設にともなう西洋亙や煉瓦を製造した工場並びに水屋敷跡です。
ジェラールの経歴については不明な部分が多いのですが、居留地77番〜79番の約3,370坪(約11,200u)を落札し、永代借地権を獲得して蒸気機関を原動力とした工場を経営しました。
日本絵入商人録(明治19年刊)によると製品...
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2008/02/10 18:17 |
横浜の史跡の紹介(山手80番館遺跡)
山手本通のエリスマン邸から元町公園に下る途中に、山手80番館遺跡があります。山手周辺にある西洋館の中で、関東大震災後に再建されないでそのまま残っているのが、山手80番館遺跡です。この西洋館はレンガ造りで少しの鉄筋は入っていたようであったが、とても強度的には持つわけもなく、崩れて元町公園を造成する時に発見されたという。(地図)
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2008/01/18 21:13 |
横浜の史跡の紹介(ゲーテ座跡、現在:岩崎博物館)
港が見える丘公園の入口の前にデーテ座跡がある。ゲーテ座は1870年に出き、収容人員は350人のわが国初の本格的演劇場であった。関東大震災で倒壊したまま再建されなかったところ、1980年に岩崎学園が博物館として再建された。そこで、ゲーテ座の案内板が建てられたそうです。(地図)
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2008/01/12 10:47 |
横浜の史跡の紹介(クリーニング業発祥の地)
港が見える丘公園の脇にある谷戸坂を少しの上った左側に、クリーニング業発祥の地の記念碑があります。(地図)
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2007/12/21 08:47 |
外国人居留地の発掘
現在、開港当時の外国人居留地において遺構調査が行われているという記事が読売新聞に載っていました。探してみると、山下町48番地で発掘調査が行われていましたが、高い塀で囲われているため様子がわかりません。ここまで隠す意味があるのでしょうか?
11/24には説明会が行われたようです。その後の説明会の予定はないようです。山下居留地遺跡の公式ホームページはこちら。
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2007/12/16 10:06 |
横浜の史跡の紹介(横浜ボーリング発祥の碑)
12/13の読売新聞で、「港を碑楽」シリーズに「ボウルとピンをあしらう」という記事が載っていました。記事を読むと、日本で最初のボーリングは長崎のようで、横浜は2番目だったようです。碑の建ってのは、港の見える丘公園のフランス山地区にあります。
この場所は、 開港当時、フランス領事館があった場所であり、そのことから現在はフランス山と呼ばれている。この碑がなぜここにあるのかは不明です。(地図)
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2007/12/16 09:00 |
横浜の史跡の紹介(旧英国海軍物置所護岸跡)
読売新聞の「港を碑楽」に、「開港時ここまで海」という記事が載っていました。ここは流石に知りませんでした。開港時に駐留した英海軍がこの地に物置所を作った護岸が保存されて記念碑があります。開港当時は、山手の北端に位置して、海に面していたという。
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2007/12/09 11:36 |
横浜の史跡の紹介(メダリオン)
読売新聞の「港を碑楽」の欄に、メダリオンとあった。これはなんだろうと記事を読んでみると、最初フランス軍が駐屯していたところが、撤退後にフランス領事館となった。その領事館の外壁あった装飾品が、港が見える公園のフランス山地区にあるフランス橋の下に展示されています。(地図)
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2007/12/04 12:12 |
横浜の史跡の紹介(西洋歯科医学発祥の地)
万永元年(1860)に、歯科医師として来日したクラーク博士が明治14年に診療所を開設したのが始まりです。クラーク博士は日本人の歯科医師育成に尽力したことが高く評価されて日が出来たようである。しかし、碑の建っている場所の由来は不明で、博士は上海と横浜を行き来していたので、定住したのは明治15年以降のようで合う。
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2007/11/24 00:20 |
横浜の史跡の紹介(日本国新聞発祥之地)
中華街の関帝廟通りの歩道に、「日本国新聞発祥之地」の碑が建物側に向いて建っています。1850年の開港の時に、米国領事館の通訳として帰国した浜田彦蔵が、海外のニュースを翻訳、編集して日本としてはじめて新聞を1864年に創刊したことを記念した碑があります。(地図)
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2007/11/15 17:48 |
横浜の史跡の紹介(西洋理髪発祥之地)
山下公園内にあるモアイ像のような記念碑が西洋理髪発祥之地の記念碑です。(地図)
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2007/11/08 20:15 |
横浜の史跡の紹介(ホテル発祥の地)
大桟橋通りに面したレストランの前に、ホテル発祥の地の碑が建っていました。建てられた日付を見てみると、最近のようで平成16年とありました。また、建てたのはレストランに関係している人たちのようで私設の説明板ですかね。(地図)
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2007/11/03 17:01 |
横浜の史跡の紹介(ヘボン博士邸跡)
ヘボン博士(正式にはハップバーンである)は開港後の横浜にキリスト宣教医として来航してきました。ヘボンの最初の住居として成仏寺にしていたが、その後、宗興寺に移り、日本語の習得するとともに施療所を開いた。その宗興寺に碑が残っています。(地図1)
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2007/10/18 21:34 |
横浜の史跡の紹介(中居屋重兵衛店跡)
横浜開港当時の貿易は生糸が最大の輸出品だったのでしょう。その生糸貿易商の「中居屋重兵衛店跡」の記念碑が東京都民銀行横浜支店脇にあります。中居屋重兵衛は群馬県の出身で開港直後に横浜に進出して、生糸貿易の過半数を占めていたという。(地図)
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2007/10/06 17:46 |
横浜の史跡の紹介(神奈川県電気発祥の地)
ベイスターズ通りに、神奈川県での最初の発電所の出来たとして「神奈川県電気発祥の地」があります。横浜で最初に電力会社が設立されたのは、明治22年だそうである。(地図)
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2007/10/06 16:56 |
横浜の史跡の紹介(玉楠の木)
写真はペルリ提督以下横浜村上陸図をカラー化して再現したもののようです。この図にある右側に木があるところが、現在の横浜開港資料館の中庭にある木です。この木は、タブノキという種類で、通称「たまくす」と呼ばれています。(地図)
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2007/09/23 11:05 |
横浜の史跡の紹介(日本写真の開祖?)
新聞の記事によれば、日本写真の開祖が建立されてから、史料がいろいろ出てきてことで訂正されており、万延元年にアメリカ人のフリーマンが日本最初の写真館を開設して、1861年に事業を譲渡された犬飼玉川が両国に写真館を開いたのが、日本人最初の写真家となったと記載されていました。(読売新聞の「港を碑楽」から引用)
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2007/09/22 17:18 |
横浜の史跡の紹介(アイスクリーム発祥之地)
馬車道通りにあるこの像はちょっと見ただけではなんの像だかわかりません。普通に、母子の像と思ってしまいます。(地図)
この像があるところに町田房造がお店を出したことで、アイスクリーム発祥之地となっているが、どうも詳細は、日本初はアメリカ人リズレーが最初であったようです。しかし、氷をアメリカから持て来ていたので高価であったため、日本で氷を供給できるようになって、町田房造が初めて、その氷でアイスクリームを作ったということのようです。
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2007/09/06 21:20 |
横浜の史跡の紹介(近代街路樹発祥之地)
読売新聞の説明によれば、慶応2年に大火災の後の再建計画の中で、馬車が通れる道の造成することになり、そのときに各商店が競って柳や松の街路樹を植えたという。その道が馬車道であり、「近代街路樹発祥之地」の記念碑を開港120周年を記念して建てられたという。(地図)
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2007/08/02 20:58 |
横浜の史跡の紹介(吉田橋関門跡)
読売新聞の港を碑楽が掲載されたので、そこからの引用も含めて、この史跡を紹介します。場所は、石川町駅を横浜寄りの改札を出て、左側の高速道路の上の橋にあります。昔は、川に架かる橋でしたが、今は高速道路の上に吉田橋(地図)があります。
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2007/07/22 17:43 |
横浜の史跡の紹介(岡倉天心生誕之地)
読売新聞の連載で、「港を碑楽」というのがあり、「岡倉天心生誕之地」の由来がわかりました。
横浜市開港記念会館の脇に、「横浜町会所跡」と並んで、左側に「岡倉天心生誕之地」の碑があります。「横浜町会所跡」と一緒に見ていくといいでしょう。岡倉天心とは、明治時代を代表する美術評論家で、日本画家を育てたことでも有名である。なぜ、ここに碑があるかというと、福井藩の貿易政策で横浜に常駐していた藩士達の活動拠点であった石川屋がこの地にあり、天心はここで生まれ10年間ほど横浜で生活していたといわれている。
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2007/07/22 16:47 |
横浜の史跡の紹介(横浜町会所跡)
町会所とは、現在の市役所や町役場のような役割をしていたようです。説明板にある内容は次のようにありました。『この地に、明治7年(1874年)に竣工した石造2階建て屋上に高塔のある建物は、横浜市制施行の明治22年まで横浜も町政を執った町会所でした。「時計台」の愛称で親しまれ、横浜の名所となっていました。明治23年横浜貿易商組合会館と改称し、その後横浜会館と改めましたが、明治39年12月類焼により消失いたしました。跡地に開港50年を記念して現在の建物が大正6年竣工しました。また、この地は開港期より明...
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2007/07/06 20:34 |
横浜の史跡の紹介(電話交換創始之地)
日本大通りにある電信創業の地から1つ隣の大桟橋通りに沿いの歩道に電話交換創始之地があります。今風に言えば、当時のITの中心地でしょうか。6/14の読売新聞に話交換創始之地について、紹介されていました。(地図)
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2007/06/15 21:17 |
横浜の史跡の紹介(消防救急発祥之地)
6/7の読売新聞に消防救急発祥之地が紹介されていました。場所は、大桟橋通りの歩道の脇に、何気なく消防救急発祥之地があります。ここから階段を下りていくと当時の地下貯水槽の中を見ることできます。ここの消防署には、3台のポンプ車があったということです。
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2007/06/15 21:15 |
横浜の史跡の紹介(外国郵便創業の局)
横浜が開港された時、外国との郵便や通信は各国の領事館や海外の商社が行っていたようです。その事業を順次、明治政府が行うように切り替えていき、外国郵便を扱うようになったのが、現在の横浜港郵便局の前身です。
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2007/06/03 22:40 |
横浜の史跡の紹介(電信創業の地)
『港を碑楽』に掲載されていたのが、NTTの前身である電電公社の電信創業の地が横浜にある。ペルーがお土産に持ってきたものだそうです。この記事を切っ掛けに、日本初で横浜が発祥の地になっているものを調べてみました。流石、文明開化の横浜なので、江戸時代までは漁村だったのが、西洋文明が流れ込んだため、発祥の地の多いこと。他の都道府県の人も羨むわけですね。(地図)
交差点の対角線先には、外国郵便創業局というプレートが横浜港郵便局の前にあります。(地図)
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2007/05/27 23:23 |
横浜の史跡の紹介(日米和親条約調印の地)
読売新聞のライフという欄に『港を碑楽』という横浜の史跡を紹介しているのに気づいたのが遅く、第1回と第2回を見逃していました。そこで、新車のテスト走行を兼ねて、市内を散策して図書館にも行って、掲載された記事を探してきました。
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2007/05/20 17:11 |
横浜の史跡の紹介(史跡・英一番館跡)
開港広場と道路を挟んだ反対側の山下通りには、シルク博物館の角に、史跡・英一番館跡の標柱が立っています。うしろには、シルク博物館の女性と絹の立像があります。1954年に設置された史跡の標柱は、市内に12箇所あるそうで、史跡神奈川運上所跡に次いで2箇所目である。
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2007/05/20 17:11 |
横浜の史跡の紹介(史跡・神奈川運上所跡)
今回は、『史跡神奈川運上所跡』(世界へ開く税の窓口)というテーマでしたが、神奈川県庁脇に史跡があるとは知りませんでした。昨日、サイクリングで通りかかる途中に寄っていきました。1858年に締結した日米修好通商条約に基づいて関税と外交事務を扱いために運上所が設けられた。1872年に横浜税関に改められた。
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2007/05/13 14:38 |
横浜の史跡の紹介(鋳鉄製の大砲)
『鋳鉄製の大砲』(深まる?埋没の謎)で紹介されている大砲は、開港資料館の脇に、記念に置いてあります。この大砲には謎があるようで、東インド会社所有の船に備えてあったカノン砲ということですが、なぜ、埋めたのかが謎なのです。
関東大震災の時に埋もれたという説があり、貿易会社の跡地から掘り出されたそうです。それも3門も出てきたそうです。1門は、ペリー来航で横浜警護を担当した松代藩のものとも言われています
読売新聞の「港を碑楽」からの引用ですが、著作権に触れるので解像度は落として内容は読めないよう...
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2007/05/13 13:54 |
横浜の史跡の紹介(リチャード・ヘンリー・ブラントン胸像)
日本大通りの正面にある横浜公園の中に、リチャード・ヘンリー・ブラントン胸像があります。彼は、明治元年に来日して、明治政府により横浜の都市計画を関わったようです。港崎遊郭の大火災を教訓に、日本大通りは道幅を広くとって、防火道路にしたと言われています。
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2007/05/13 13:22 |
横浜の史跡の紹介(煉瓦造下水道マンホール)
横浜の読売新聞には、日曜版に『開港場物語』というのが連載で横浜の歴史を紹介しており、地元に住んでいても、自ら歴史を調べるということをしないので、とても参考になります。第1回の連載からスクラップブックにしています。スクラップブックといってもスキャナに読込んで、電子データで保存するので、新聞のように大きなものでも場所も取らず問題なく簡単です。
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2007/05/13 10:58 |
旧川越街道の探索
旧川越街道は江戸城と川越城を結び「栗(9里)より(4里)うまい13里」という宣伝文句の距離で利用した大名も川越城の城主なので、本陣を利用しなかったと言われています。日本橋から中山道できた旧川越街道は板橋の平尾追分で、中山道と分かれます。その旧川越街道をその追分から探索しました。
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2006/08/06 12:18 |
「野火止用水を散策」をアップロード
「野火止用水を散策」をアップロードしました。写真は、平林寺の山門です。
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2006/05/24 20:49 |
野火止用水を探索する
久しぶりに日曜日のお天気がよいので、サイクリングに出掛けることにした。多摩川CRをバイパス代わりに少し走って、玉川上水駅まできた。以前、玉川上水の探索をした時に、野火止用水というのがあるを知り、今回、探索することにしました。写真は、玉川上水との分岐点で、ここから野火止用水がはじまる。
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2006/05/22 19:48 |
旧甲州街道の探索2
旧甲州街道の一里塚はほとんど残っておらず、恋塚一里塚は珍しく一目で一里塚とわかるほど原型を残していました。今回の探索ではこれしかありませんでした。
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2006/05/01 22:50 |
旧甲州街道の探索
1年前に、旧甲州街道を日本橋から小仏峠までの探索しましたが、その続きをすることにしました。
小仏峠から甲府を目指して行ける所までいくことにした。
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2006/05/01 22:16 |
江戸六地蔵巡りをサイクリング
機能アップによるガタガタもひと段落したので、更新していきます。
昨日の日曜日、天気が良いのでちょっと長距離を走りました。と言っ
ても都内です。
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2006/03/06 20:04 |
「港北の公園巡り」をアップロード
「港北の公園巡り」をアップロードしました。
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2006/02/13 23:26 |